2014年11月24日月曜日

ココナッツミルクを鶏白湯ラーメンに突っ込んでみる

ココナッツミルクを使ったチャーハン

ココナッツミルクがまだ余っているので、今度はラーメンに突っ込んでみたいと思います。「ラーメンとカレーってわりと具材似てるよね。カレーに使えるならラーメンにもイケるんちゃう?」という発想であります。

とりあえず鶏白湯スープを取って、冷凍したココナッツミルクをポイー。もうこの時点でヤバいです。甘ったるい臭いが…。

醤油ダレを合わせましたが、せっかく白くて綺麗なスープなので、塩や白味噌で色をつけない仕上げでも良いと思いました。

麺は余ってた中力粉と強力粉を混ぜて適当に切りました。加水率は43%くらい、カンスイはコンニャクを作ったときに余った炭酸ナトリウムを水に溶かしたものです。切っている途中で「もっと太くしたい」と思って微調整してしまったせいで、バラつきが酷いですね……。

んで出来上がりがこちら。エビの油をかけてみたんですが汚くなっちゃいました。

甘い臭いがして嫌な予感……。さて一口、味は……甘い!臭いも味もシチューじゃねーか!シチューラーメンはちょっとねえ……。そういう店もあるんですっけ?でも僕の好みじゃないなあ。

ココナッツミルクの新しい使い道を見つけようシリーズはどうも上手くいかんですねえ。甘い味を生かしてシチューやお菓子に使った方がいいんでしょうね。まあそりゃそうだよなあ。

僕の出汁の取り方 昆布編

僕の出汁の取り方を記録しておきたいと思います。まずは基本になる昆布出汁から。昆布出汁だけで使うことは少ないですが、カツオや煮干しと合わせる前提として昆布出汁を準備しないと始まりません。

そんな大事な昆布出汁ですが、どうやって取ればいいのでしょう。出汁の取り方って料理をはじめて一番最初に悩むところですよね。何をどうしたらいいのか全然分からない。


僕は美味しんぼ世代なので、出汁の取り方といえば、山岡さんが割れたビンでかつお節をかいていた記憶が強いです。そして、昆布はさっと湯に通すだけ。魯山人をネタにしていた初期の美味しんぼですから、たぶん元ネタはこのへんですよね。

北大路魯山人の出汁の取り方

でも、この美味しんぼ(というか魯山人風の)薄い出汁が美味いと思えないのですよ。


理屈は分かります。アミノ酸系の出汁と核酸系の出汁を合わせれば相乗効果がある。昆布出汁はこの相乗効果を生かして核酸系の魚出汁をひきたてるためのものである。昆布出汁の味それだけで勝負するわけではない。だから、多少薄くても昆布臭さを出さないように仕上げるべきだ。こういうことなんでしょう。


でも、実際そうやって魚と合わせて食べても美味さが分からんのです。馬鹿舌だから。


最終的な目的は自分が美味いと思えるものを食べることですから、自分が美味いと思う出汁の取り方をするしかないですよね。とにかく濃厚にとらないと。薄い上品な出汁を美味いと思えないのだから仕方がない。


ということで僕の出汁の取り方は「濃厚な出汁をとる」ことを目標に工程を組み立てています。




まず、どの昆布を選ぶのか。昆布の選択も濃厚な出汁を取れるかどうかが基本的な基準になります。日高昆布は出汁に濃厚さが足りないからダメ。僕が好きなのは真昆布か利尻昆布です。真昆布と利尻昆布、どっちを選ぶかと言われたら真昆布かなあ。濃厚さ基準だけでいえば羅臼昆布なのですが、なんだか垢抜けない昆布臭さを感じるのが苦手なので避けています。


さらにドライトマトを加える。邪道ですねえ。でも、ドライトマトはガッツリ旨みを出してくれるのです。昆布だけではピンとこないところを下支えしてくれる感じですね。


これらを水につけます。濃厚に出したいので、加熱する前に一晩水に浸すところから始めます。3リットルくらいの水に10cm四方程度の昆布を3枚程度でしょうか。ドライトマトは、量が多くなるとトマト臭を主張しはじめるので、ほんのちょっと、親指の先程度の大きさを切り取って使います。


水は水道水を利用しています。ミネラルウォーダーや純水を試したこともあったのですが違いが全く分かりませんでした。馬鹿舌ですから。違いが分からないなら一番手軽な選択肢ですよね。


さらにこれにシイタケの旨みを加えます。核酸系のグニアル酸を足すことで、味の相乗効果を狙うわけです。このしいたけも主張が強いので、ほんの一かけらでいいと思います。





シイタケの旨み成分生成のしくみ

シイタケは昆布やドライトマトとは分けて冷水につけます。どうしてか。リボ核酸を酵素が分解することでグニアル酸を作るというのがシイタケの旨み成分が生成するしくみです。ところが、シイタケにはせっかく出来上がった旨み成分をさらに分解してしまう酵素もある。そこで、これらの酵素が働かない温度でリボ核酸を抽出する必要があるのです。また、加熱するときは旨み成分を作ってくれる酵素の至適温度にしなければなりません。

シイタケ中のグアニル酸に関する研究

これを見ると、冷水に5時間もつけておけば十分なようです。ということで、シイタケは軽く日に当てた後、300ml程度の水につけて一晩冷蔵庫で保存します。

さあ、いよいよ加熱です!

それぞれにとって最適な加熱とはどういったものか。シイタケの場合は、上記のサイトで説明されているように、旨み成分を作ってくれる酵素の至適温度60℃以上で20分程度加熱するのが適当なようです。

では昆布はどうか。昆布出汁の加熱については京都の料亭「菊乃井」の出汁の取り方が何度もテレビなどで取り上げられて有名です。学者の先生との共同研究の結果、60℃で1時間加熱するのが一番良い結果が出たという話です。これをそのまま借用してしまいましょう。

僕は、シイタケを戻した汁も昆布と一緒の鍋に投入してしまいます。厳密にいえばシイタケの戻し汁と昆布それぞれに最適な加熱の方法は違うんでしょう。しかし、一緒に加熱した場合と分けて加熱してから合わせた場合、それぞれに違いを感じませんでした。そういうわけで、一緒に加熱しています。60℃~70℃で1時間加熱します。

これが面倒なんですよね。料理用温度計でいちいちチェックして、冷めてきたら再加熱しないといけない。僕はキッチンタイマーを使って15分ごとにチェックしていました…。

この面倒さを回避するためにシャトルシェフを導入することにしました。鍋版魔法瓶なので、1時間放置しても不適当な温度までは下がらない。とりあえず70℃に少し届かない程度まで加熱したら、シャトルシェフで1時間程度放置します。

最後に、仕上げの加熱をするかどうかが問題になります。最後の加熱の目的としては、昆布臭さを飛ばす、シイタケの酵素を失活させる、といったことが挙げられます。しかし、加熱による昆布臭さの変化というのは僕にはほとんど感じ取れませんでした。馬鹿舌ですから。また、シイタケの旨み分解酵素も60℃以上で失活するそうなので、ここでの加熱は不要でしょう。実際に仕上げの加熱をしてみた結果でも大きなメリットは感じられませんでした。逆にどうも味に丸みがなくなるようなデメリットを感じたので、この工程は採用していません。


というわけで、これで出来上がりです。ただ、まとめて作っているのでどう保存するのかが大きな問題になってしまいます。

僕の体感的には、このようにとった出汁は冷蔵庫で3、4日で劣化が始まります。冷蔵庫の保存では使い切れない。そこで、僕はプラスチックの容器に小分けして、まとめて冷凍しています。冷凍なら2週間程度はもつと思います。実際には10日以上冷凍しておいた経験がないのでよく分らないのですが。

出汁ガラの昆布やシイタケは煮ものに使うと美味しいです。ただ、ドライトマトがどうもねえ……。僕はドライトマトの出汁ガラだけは捨ててしまいます。本当は使い道があるんでしょうけど、イマイチ美味しく食べる方法が分らんのですよ。

最近は昆布を細かく刻んでエノキ茸と一緒にみりんしょうゆで煮てなめたけにして食べています。これは素晴らしいご飯のお供になりますよ。

凍らせた出汁は、使う前日に使う分だけ冷凍庫から取り出して解凍します。このときに煮干しを突っ込んだりするのですが、それは昆布出汁の取り方とは別の話になるので、この記事はこのへんでお開きにしましょう。

煮干しやかつおぶしの出汁の取り方は以下のリンクをご覧ください。
僕の出汁の取り方 煮干し編
僕の出汁の取り方 かつおぶし・その他編

2014年11月19日水曜日

ココナッツミルクを使ったチャーハン

カレーにココナッツミルクを使ってみたところ、これがベストマッチ!…なのは良かったのですが、ココナッツミルクが大量に余ってしまいました。どうにかして使い道を見つけないと……。

ということで、ココナッツミルクを色んな料理に使ってみたいと思います。今日のお料理はココナッツミルクで炊いたお米を使ったチャーハンでございます。


材料はこんな感じ。卵の横にある氷の棒のようなものが凍らせておいたココナッツミルクです。

ココナッツミルクでご飯を炊く目的は二つ。

一つ目は単純に前述のような事情でココナッツミルクが余っていたから。まあこれは料理外在的な要因であんまり言うことはないです。

二つ目の目的は、チャーハン向きのパラパラご飯を炊きたいというところにあります。一人暮らしを始めると、みんなとりあえずチャーハンを作りますよね。僕もチャーハンから入ったんだけど失敗ばかりで……。パラパラに炒めることができないんですよ。

それで、どうしたらいいのか色々考えました。よくあるのがフライパンで炒める前に卵を混ぜてしまうという手。でもこれでやるとパラパラにはなる反面、食べたいチャーハンとは別物になっちゃうんですよね。パサパサ感のある仕上がりになりがちなのも困る。

次に考え付くのがガンガン油を入れるという手。これも上手くいかなくてねえ。油ギッシュなチャーハン苦手なんすよ。うーん、どうしたものか。水分を飛ばした冷やごはんを使うという手もイマイチ成功しない。

僕はここで発想を変えてみました。これらの工夫はご飯を炒める時点を中心に考えすぎているのではないか。そこで問題が解決されないなら、さらに遡ってご飯の炊き方を工夫するべきではないのか。

まあ要するにチャーハン用に固めにご飯を炊くってだけなんですが、僕にとっては革新的な思いつきだったのです。その方針で色々試した結果、今までは昆布出汁でご飯を炊くことにしていました。ただ水分を減らすだけじゃなくて、何か混ぜて炊いた方がパラパラになりやすいんです。

それで満足していたんですが、もっとパラパラになる混ぜ物があるんじゃないだろうかと。あと、炊きあがったご飯の旨み不足にもどうも納得できない。グルタミン酸効果があるはずなのに、なーんかパンチがないんですよ。

そこでココナッツミルクです。カレーに突っ込むと良い感じでうま味と甘みを補強してくれますよね。これを使えばご飯バラバラ効果も旨み効果も両方期待できるでしょう!



んでココナッツミルクを使って炊いたご飯でチャーハンを作った結果がこれ。

おお、炒めやすい!僕みたいな下手くそでも比較的パラパラになった!わりと旨み感もあるし、いいぞ~。

けれども、思わぬ落とし穴が…。ご飯を炊こうと鍋を火にかけたらすぐコゲの臭いが!まあ当然ですけど、ココナッツミルクみたいなネバッとしたものを混ぜてご飯を炊くと焦げますよね。少し火を落とし、焦げないように注意して炊くことになりました。

口に入れたときにもびっくり!ニンニクやショウガを入れたら大丈夫だろうと思っていましたが、ココナッツミルクの香りが強い強い。こりゃココナッツミルク苦手な人は食えそうにないですわ。

でもまあ、ココナッツミルク入りのご飯はチャーハン用としてはアリですね。今回はちょっと入れすぎて弊害が出たということだと思います。次回チャレンジするなら量を減らしてですね。今回の半分くらいでも十分パラパラ効果と旨み効果が期待できそうです。

このブログの料理記事の方針について

あなたはインターネットのどういった部分に魅力を感じていますか?


僕は、インターネットの面白さは色々な人の試行錯誤の様子を覗くところにあると思っています。

キッチリした粒ぞろいの情報を求めるなら、図書館などで専門の本を調べた方が良いでしょう。インターネットに転がっている情報は玉石混淆、これは間違いないと丸のみできるものはあまりありません。でも、キッチリした粒ぞろいの情報になる前の情報に触れる面白さがあります。色んな人が色んな風に試行錯誤をしている生々しい様子が伝わってくるのです。そこには、磨かれる前の宝石の原石を手に取って眺める喜びのようなものがあります。


このブログもインターネットの一部分ですから、僕がインターネットに対して感じている魅力を少しでも持ったものにしたいと思います。

そうであるとすれば、必ずしも、キッチリしたレシピを決まった頻度で更新する完璧なサイトを目指す必要はないでしょう。キッチリした粒ぞろいの情報を伝えることにはこだわらず、苦心惨憺、試行錯誤している様子が伝われば良いのです。

そこで、作った料理について、気が向いたときに雑感を述べる程度の記事内容に留めます。そうは言っても、肝心の試行錯誤の面白さが失われることのないように、以下の3つの点に注意して記事を書きたいと思います。

1.その料理を作るにあたって、どういった工夫をしたのか。
2.その工夫の結果はどうだったのか。
3.反省を次回どう生かすのか。


それぞれの記事にはラベルを貼っています。料理というラベルは、僕の毎日の料理です。いろいろ工夫して試行錯誤している料理記録だと思っていただければ。これが散漫である、もっと要点を述べてほしいと感じられた方は、料理の基本というラベルをクリックしてみてください。このラベルは、試行錯誤を踏まえて、今現在はこういったやり方で料理をしているという暫定的な結論をまとめた記事に貼りつけています。その他、細かい検索が必要な場合にはブログ検索を使ってみてください。


なお、僕の記事に間違っている点、不快である点があった場合、コメントをいただければ幸いです。「指摘されれば必ず削除・変更します!」といった約束はできませんが、コメントの内容を考慮してしかるべき処置をとりたいと思います。



それでは僕の素人料理をどうぞ御笑覧ください。あなたが僕の記事に魅力を感じてくれることを祈っています。

2014年11月15日土曜日

トナカイの家畜根性を難じる

悴んだ手を無意識に口元にもってきて温める。そんな自分に気付く季節になってしまいました。寒さを堪えて飛び込んだスーパーマーケットでは早くもクリスマスを思わせるbackground musicが流れています。この店では定番の『赤鼻のトナカイ』を採用しているようです。まだ11月ですが、こころなしか買い物客もクリスマス気分に浮き立っているかのように見えます。

しかし、僕は、皆をクリスマス気分にする『赤鼻のトナカイ』の歌詞が嫌いなのです。トナカイの赤鼻を馬鹿にしているとしか思えません。暗い夜道で鼻が役に立つ?御冗談を!暗い夜道で役に立つほど鼻が光るわけがないでしょう。サンタの言葉は、いつも泣いているトナカイに追い打ちをかける残酷な鞭の一振りでしかないととるのが妥当です。

この説明だけでは抽象的すぎていまいち納得できないかもしれません。歌の主人公がトナカイという非人間であるため、自分をトナカイに置き換えて考えてみることが難しいのでしょう。そこで、わかりやくなるようにトナカイを僕に置き換えてみます。

僕は、生え際が少し後退しています。特に剃りこみ部分の髪の毛が少なくなりつつあります。俗にいうM字禿の予備軍です。まだ大きく後退はしていませんが、親戚にM字禿からガッツリ後退した人がいたので、将来的にM字禿からツルツルになるのは不可避ではないかと予想しています。

この僕の頭髪に対する悩みをトナカイの鼻に対する悩みと置き換えてみます。この二つは重要な部分で共通しており、置き換えは不当ではないと考えます。どちらも通常人と異なることを原因に揶揄される体の一部分だからです。そうすると『赤鼻のトナカイ』の歌詞は以下のようになります。

M字の頭の
ハリス綾さんは
いつもみんなの
笑いもの

でもその年のクリスマスの日
サンタのおじさんは言いました

暗い夜道は
ぴかぴかの
お前の頭が
役に立つのさ

いつも泣いてた
ハリス綾さんは
今宵こそはと
よろこびました

これでこの歌詞の異常性がはっきりしたと思います。こんなことを言われて喜ぶわけがないでしょう。僕なら今宵もまたかと悲しむでしょうし、気性の荒い人ならサンタクロースが文字通りコカコーラカラーになるまで殴りつけるかもしれません。喜ぶトナカイの家畜根性にはうんざりです。

他の客がクリスマスの予感に浮き立っている中、スーパーの養毛剤コーナーで怒りに震える僕でした。

2014年11月13日木曜日

自己紹介

はじめまして。僕はインターネット上ではハリス綾と名乗っています。インターネット上といってもツイッターくらいですけどね。以下、簡単に自己紹介をします。名前の由来、属性、性格、趣味嗜好などです。

まずは名前の由来について。この名前に特別な意味はありません。ツイッターのアカウントを取得するときに先に使われていない名前がこれだっただけです。思いついた名前はすでに使用されているものばかりで、最終的にこの名前に落着きました。

ハリスと綾、それぞれに一応由来があります。ハリスというのは、僕が生まれたとき、漫画『ハリスの旋風』の登場人物の名前を付けられそうになったらしいというところからきたものです。綾というのは、今住んでいる場所の地名の一部をとったものです。うーん、カタカナ漢字混じりでちょっと変でしょうか?

この名前は僕の属性を正しく示してくれないようです。女性なのかといった問いや、日本以外にルーツを持っているのかといった問いを受けることがありますが、どちらも違います。性別は男性です。出身地については、父の仕事の関係でちょこちょこ移動していたので断言しにくいですが、まあ四国と言って間違いないと思います。ごくごく一般的な中年男性であります。

いや、一般的な中年男性というのは正しくないかもしれません。中年男性にしては成熟していない子供の様な性格です。それも天真爛漫といった良い意味で子供のようなのではなく、臆病で人見知りで虚栄心が強いという点で子供のようなのです。

その子供の様な性格に加えて、僕は頭が非常に悪いし、他人とコミニケーションを上手くとれない。ついでにスポーツなんかも苦手です。結果、いろいろ挫折や失敗を繰り返すことになりました。今では元々のいじけた性格が余計酷くなっています。できることなら、人とかかわらずに洞窟に閉じこもり何もせずに暮らしたいといった心境にあります。

そんな僕ですが、衣服や食べ物にはわりと興味があります。これは、もう何もかも嫌だから全て捨てて逃げ出そうとなったときに「それでも自殺でもしない限り衣食住とは関わらざるを得ないなあ」と考えたことがきっかけです。

住については手に余るところがありますが、衣と食は自分の努力でどうにかなるはずです。結果的には衣服よりも食べ物のほうに興味が向かっています。これは生まれつきの容姿の然らしめるところですね。「不細工がおしゃれしたって仕方ないじゃねーか!」というありがちな感想を自分の容姿に対して持ったわけです。

食べ物の方は、下手くそながらも料理をすることが段々楽しくなってきました。美味しさというのは、食べ物それ自体が持っている客観的な属性ではないのでしょう。自分が何を食べたいのか真摯に考えて丁寧にそれを目指して作れば、下手な料理でも自分にとっては美味く感じるようです。

こういった性格なので、引きこもって本を読むのも好きです。これには育った環境の影響もあります。小学生のころに田舎に住んでいたせいで本が友達の生活になってしまったのです。一番近い男友達の家であっても遠足並みに距離が離れているのですから仕方ありません。頭が悪いので本を人並みにサクサク読むことはできないのですが、自分なりに楽しみながら読んでいました。

そういったわけで、高校生ぐらいまでは日本文学全集みたいなものを読んで喜んでいました。ところが、大学生になったくらいから実はほとんどフィクションを楽しめないことに気付いてしまったのです。小説の類いは何を読んでも「まーたウソを書いているのか」といった感想にしかならない。

話は本筋から外れますが、頭の悪い僕は大学受験でも失敗続きでした。目を閉じれば、センター試験直前にインフルエンザにかかり微熱状態で泣きながら問題を解いていた自分の姿がありありと瞼の裏に浮かびます。まともな大学生になどなれそうもない人間なのです。ところが、某地方私立大学の文系の学部に滑り込んで大学生になれたのです!これはダラダラとモラトリアム生活を続けたい僕にとって本当にありがたいことでした。

閑話休題。大学生になったくらいからフィクションをウソだと感じて楽しめなくなったというところからですね。でもまあ他に趣味があるわけでもなし、惰性でダラダラ読書を続けていました。そんなときに正宗白鳥の作家論を読んでビビッときました。白鳥の書くものは白鳥の性格がにじみでています。小説も評論も。その白鳥臭いものごとの考え方にウソではないものを感じたのです。「自分に近い性質の人間が苦しんでいる!」といった身につまされる感情が生まれたのかもしれません。

そんなわけで、大学時代は図書館で正宗白鳥全集をチマチマ読んでいました。全集を読み終わった後は、有名作家の全集の索引から白鳥の名前を探して面白いエピソードがないか探したり……。気持ち悪いですねぇ。でも、ある作家にはまった場合、その人がどういったキャラクターだったのか知りたいという興味がわくのは自然なことではないでしょうか。今でも白鳥の人となりについては興味があって、白鳥の全集だけではなく評伝や伝記もちょろちょろ読んでいます。

読んでいるのは白鳥に関係するものだけではありません。古本屋で漁った本を「わからない、全くわからない」と言って涙を流しながら読んでいます。基本的には人文系のかなり昔の本が多いです。賢い人に対する憧れが強く、難しい専門書のようなものを読みたくなってしまうのです。

しかし、頭が悪いのでほとんど理解できません。また、人文系の学問であっても10年前20年前の知識はあまり役に立たないでしょうから完全に自己満足でしかないですね。出来そこないのディレッタントというわけです。